「ロベルト・リベリーノ」の版間の差分

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== 略歴 ==
=== 選手 ===
[[1962年]]に名門クラブ[[コリンチャンス]]に入団。[[1965年]]にトップチームの公式戦にデビュー。同年、弱冠19歳で[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]に初選出され[[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]戦に出場した
 
[[19691970年]]にブラジル代表デビュー。[[1970 FIFAワールドカップ|メキシコワールドカップ]]では左ウイングのレギュラーとして3得点をあげるなど活躍し優勝に貢献した。[[ペレ]]を擁したブラジルは圧倒的な強さを見せつけ史上最強のブラジル代表といわれた。
 
ペレの引退後のブラジル代表ではトップ下の位置で背番号10をつけ、ペレの後継者として活躍した。[[1974年]]の[[1974 FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]でも3得点をあげた。この大会では対東ドイツ戦でみせた[http://www.youtube.com/watch?v=Rm9aKk3hTKw トリッキーなフリーキック]が印象に残った。相手選手の作った壁の間にはいったブラジル選手([[ジャイルジーニョ]])がリベリーノがボールを蹴る直前にしゃがみ込む。ボールはそのわずかなすき間を通過しゴールにつきささった。全力で蹴ったにもかかわらず完璧なまでのコントロールであり、GKも一歩も動けない、まさにマジックのようなFKであった。
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晩年は[[サウジアラビア]]の[[アル・ヒラル]]でプレーし[[1982年]]に引退。
 
=== その後 ===
[[1994年]]セカンドステージから[[清水エスパルス]]の監督に就任したが,成績不振のためこの年限りで辞任した。
[[澤登正朗]]へFKの個人指導をする等、自らの技術をチームに伝える指導に熱心であった。
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== 代表歴 ==
*[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]] 1965-1978
**代表デビュー:[[1965年]][[11月25日]] vs [[サッカーハンガリー代表|ハンガリー]]
**代表通算:122試合出場 43得点
**[[1970年]] [[1970 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・メキシコ大会]]('''優勝''')
**[[1974年]] [[1974 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・西ドイツ大会]](4位)