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'''南部煎餅'''(なんぶせんべい)は、[[小麦粉]]を原料にした[[せんべい]]の一種。
==由来==
その由来には諸説あるものの、大方は「長慶天皇創始説」を取っている。
;長慶天皇創始説
南北朝時代の頃、南朝の[[長慶天皇]]が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町<!-- 今は牡丹寺としても有名-->)、長谷寺
さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。 ;八戸南部氏創始説
;キリスト創始伝承
昭和十年頃に新郷村の盆踊り「[[ナニャドヤラ]]」から、突如誕生した新郷村の「イエス・キリスト日本渡来伝説」と共に沸いた話の一つ。ゴルゴタの丘での処刑を逃れたキリストは、シベリア経由で日本に渡来した。八戸の八太郎に上陸して新郷村の沢口や迷ヶ平で生活したという。この時キリストの郷里で食べていたパン([[マッツァー]])に似せて作り食べていた食べ物が、現在の南部せんべいの始まりであるという説である。
== 歴史 ==
元々は八戸藩で作られた非常食であ
旧[[弘前藩]]側の地域では'''津軽煎餅'''・'''八戸煎餅'''とも呼ぶ。これは青森県左側に位置した[[弘前藩]]初代藩主・[[津軽為信]]は元々主[[南部家]]の家臣であり、南部家の領土の一部を後の[[弘前藩]]として独立した為、南部家中の風習がそのまま残った事に由来する。
なお南部煎餅という名前は巖手屋が商標登録している
なお(株)小松製菓が「南部せんべい物語」「南部せんべい茶屋」で商標登録しているが、「南部せんべい」で商標登録に至った例は、今のところ無い。
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通常の「白せんべい」と呼ばれるものの他に[[ゴマ]]、[[クルミ]]、[[ラッカセイ|落花生]]などを加えて焼いたものもある。近年では[[イカ]]、[[カボチャ]]、[[リンゴ]]、[[ココア]]などバリエーションが豊富である。
通常[[スーパーマーケット|スーパー]]等で売っているものと言えばまずゴマ、次いで落花生の二種類であり、他の種類のものはメーカー直営店や土産物屋、南部煎餅専門コーナー等以外で
白せんべいはそのまま食
保存性は非常によいが、時間が経過すると[[酸化]]により味が落ちる。個包装の商品も存在するが、通常は10~20枚程度を1つの袋に入れた簡素なものが多い。青森、岩手の旧南部氏支配地域においては非常にポピュラーな食べ物であり、来客にも供される。
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近年では、八戸せんべい汁研究所が、八戸せんべい汁としてブランド化を図って活動をしており、八戸市を中心とした近隣の居酒屋や飲食店ではせんべい汁を提供する店が増えている。
なお、東京に所在するキー局などが製作したテレビ番組で「青森県民が食する」と紹介されること
==外部リンク==
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