「アメリカ独立戦争におけるドイツ」の版間の差分

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龍伯 (会話 | 投稿記録)
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イギリス植民地にいた他の民族集団と同様に、ドイツ語を話す植民地人も2派に割れて、パトリオットとロイヤリストのどちらかを支持した。ドイツ人ロイヤリストは地元の民兵隊の中で戦い、戦後は追放されてドイツに戻った者もいた<ref>Bobrick, 482 Note: This refers to "Deutschland," literally "the land of the Germans," referring to the German states of the 18th century; there was no nation called "Germany" in the 1780s.</ref>。独立戦争中のニューヨークにはかなりの数のドイツ人がいた。その他の植民地はドイツ人連隊を作ったり、ドイツ系アメリカ人を地元の民兵隊に参加させた。[[サウスカロライナ州|サウスカロライナ]]、[[チャールストン (サウスカロライナ州)|チャールストン]]のドイツ人植民地人は1775年に擲弾兵中隊を結成し、[[ジョージア州|ジョージア]]のドイツ人も[[アンソニー・ウェイン]]将軍の下に入隊した者がいた<ref>Resengarten, 18</ref>。
 
ドイツ人植民地人は特に[[ペンシルベニア州]]で記憶されている。これは移民に対する帰化条件が友好的だったこと<ref>Rosengarten, The German Soldier, 10</ref>、またペンシルベニアのドイツ人兵士がペンシルベニアで大きな人口になっていた平和主義者の[[クエーカー]]教徒と対照的な姿勢だったこと<ref name=TGS11 />も一部寄与している。例えば[[ピーター・ミューレンバーグ|ピーター]]とフレデリックのミューレンバーグ兄弟はペンシルベニアでの第1世代だった。ペンシルベニアのドイツ人は戦前に[[レディング (ペンシルベニア州)|レディング]]に移民してきた[[プロイセン王国|プロイセン]]の士官バーソロミュー・フォン・ヘール大尉の下で、アメリカの憲兵司令部に徴募された<ref>Ferling, 340</ref>。
 
1776年6月27日、第二次[[大陸会議]]は[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]の一部として「ドイツ人連隊」を結成することを承認した。当初は[[メリーランド州|メリーランド]]からの4個中隊とペンシルベニアからの4個(後には5個)中隊の合計8個中隊で構成された。アンソニー・ウェイン将軍の下のニコラス・ホイセッガー少佐が大佐(連隊長)に任官された。この連隊はトレントンの戦いや[[プリンストンの戦い]]に参戦し、[[ジョン・サリバン|サリバン]]の[[インディアン]]に対する遠征にも参加した。この連隊は1781年1月1日に解隊された<ref>Rosengarten, The German Soldier, 103</ref>。