「金の尾遺跡」の版間の差分

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2004年(平成16年)には民間遊技場建設に伴う事前調査が行われ、第一次調査区の北側隣接地域から弥生時代の周溝墓、集落南側を囲む溝状遺構、古墳前期の周溝墓、5世紀初頭の[[壺型埴輪]]を伴う低墳丘墓のほか、縄文中期の住居跡1軒や竪穴状遺構1基、[[集石遺構]]2基、土坑2基、当遺跡におけるはじめての検出事例となった古墳中期の竪穴状遺構3基と周溝墓3基、住居跡1軒、土坑4基、台付甕などの土器類が検出されている。第5次調査ではる弥生末期の[[壺棺]]が発見され、6次調査ではV字状環濠が検出されている。
 
縄文時代の遺構では住居跡9軒、竪穴状態遺構1基、集石遺構や土坑が検出されている。第一次調査で検出された8軒の住居跡は、本遺跡において最古となる前期終末の十三菩提式期1軒と中期中葉の勝坂式期7軒で、第7次調査でも1基が確認されている。縄文時代の遺物では縄文早期の押型文土器が最も古く縄文前期には定住痕跡が明瞭な住居跡が確認されているが、主体は縄文中期。第3次調査では中期末から後期初頭の土坑23基が検出されている。
 
弥生時代の遺構では竪穴住居跡33棟、方形周溝墓26基、壺棺や土坑、溝跡のほか、一部には環濠が存在する。第一次調査では弥生後期の住居跡23軒、方形周溝墓15基、円形周溝墓2基、溝跡が検出され、4次調査では後期住居1基、方形周溝墓9基、溝跡が検出されている。住居跡は地床炉や埋甕炉などを伴い、そのうち25パーセントが[[焼失家屋]]で炭化した柱や垂木材、草などの屋根材や焼土や炭化米などが検出されている。