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祖先に第五十九代[[宇多天皇]]第八皇子[[敦實親王]]から続いた[[宇多源氏]]を持ち、天正十三年[[近江]][[長浜]]にて[[山内一豊]]に仕え、[[遠江]](現、静岡県掛川付近)を経て慶長六年に[[土佐]]に入国した、[[馬孫左衛門高政]]から数えて七代目。
江戸で[[石田梅岩]]らによって提唱された[[心学]]を学び、その[[心学]]を[[土佐]]で講説していた人物。
嘉平の力により思いのままの役職に就く事が出来た事から、民衆は[[馬淵嘉平]]やその周りの人物を[[おこぜ組]]と呼んだ。