「荒川キヨシ・小唄志津子」の版間の差分

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'''荒川キヨシ・小唄志津子'''(あらかわきよし・こうたしずこ)は、[[大正]]・[[昭和]]期に活躍した[[日本]]の[[漫才師]]。
 
キヨシの長身で細身の体、志津子の巨体のコントラストが受けた。漫才という形を取っているがほとんどがキヨシの一人舞台でセンターマイクの中央に立ち志津子が横で椅子に腰掛け三味線を弾いて伴奏する程度。

名前の通り[[小唄]]・[[都々逸]]、キヨシの[[阿呆陀羅経]]に最後は小さな[[木魚]]を取り出し叩く[[音曲漫才]]が主で戦後、[[桜川末子・松鶴家千代八]]や[[桜津多子・桜山梅夫]]、[[浪花家市松・芳子]]、[[五條家菊二・松枝]]等と共に数少ない音曲漫才として[[角座]]などで人気になった。晩年は[[浪花座]]、名古屋の[[大須演芸場]]に出演した。
 
キヨシの愛用の木魚は[[喜味こいし]]が死後譲り受けている。