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[[明治時代]]に、最上川沿いに「磐根街道」が開削されると、難所であった青沢越は衰退を始め、[[陸羽西線]]が開通すると没落していった。
 
最近まで、未舗装の狭く危険な峠道であり、車で走るには難渋し、一年の半分以上は冬季閉鎖であったが、近年、[[分水嶺]]にある青沢トンネルを始めとするトンネル群が完成し、大型トラックの走行が可能な全線2車線の道路拡幅が完了したことにより、通年通行が可能になり、最上地方と庄内地方を結ぶ第2のルートとなった。[[金山町_(山形県)|金山町]]や真室川町から庄内に向かう最短ルートではあるが、峠部分は、急勾配・急カーブが続き、[[土砂崩れ]]や[[雪崩]]が頻発する、安全とは言い難い厳しい道路であるため、遠回りになっても[[国道47号]]を使う車が多く、通行量はそれほど多くはない。
 
断崖絶壁を縫っている視界が開けた峠であり、秋の[[紅葉]]が見事である。