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クリステヴァの作った「間テクスト性」の意味するところは、[[フェルディナン・ド・ソシュール|ソシュール]]の構造主義的記号論([[記号]]がテクスト構造の中でどんな意味をもたらすかという研究)と[[バフチン]]の[[対話主義]](各テクスト(特に小説)や語における多義或いは「ヘテログロシア」の検討)とを統合する試みである。クリステヴァによれば、もしも作家から読者へ直接意味が伝わるのではなく、代わりに他のテクストによって伝えられる「コード」が介在したりフィルターがかかったりするのであれば、間テクスト性の概念は[[間主体性]]の概念に取って代わるという。例えば、我々が[[ジェイムズ・ジョイス]]の『[[ユリシーズ]]』を読むとき、我々は近代人の文学的実験として、或いは壮大な伝統への反応として、或いは他の談話の一部として、或いはこれら全ての談話の一部分として、これらを同時に解読する。この間テクスト的な文学の見方は、[[ロラン・バルト]]が指摘したように、芸術作品の意味は作品にあるのではなく、鑑賞者にあるのだという観点を補強するものである。
 
最近のポスト構造主義者の理論、例えば[[ダニエラ・カセッリ]]の『ベケットのダンテ』では、間テクスト性を異なるテクストの間の一連の関係というより、テクスト内で生み出されるものとして再検討されている。またポストモダン理論家には間テクスト性とハイパーテクスト性との関係について論じたがる者もいる。即ち、間テクスト性によってテクストそれぞれは「引用のモザイク」(クリステヴァ)やより大きなモザイクの一部になっており、ちょうど[[ハイパーテキスト|ハイパーテクスト]]それぞれが[[ハイパーリンク|リンク]]のウェブページや[[World Wide Web|WWW]]全体の一部になっているのと同様であるという。
 
==「間テクスト性」 と競合する用語==