「那須疏水」の版間の差分

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{{和暦|1885}}、県令[[三島通庸]]や農場経営を目指した矢板武、印南丈作などの地元有志により、約5ヶ月という短期間に本幹部が開削された。{{和暦|1905}}にも水門や導水路等が建設された。那須野が原北部の[[那珂川]]の岩崎取水堰より取水し、[[扇状地]]である那須野が原に農業用用水を供給している。供給対象面積は約4300ヘクタールで[[那須塩原市]](旧[[黒磯市]]、[[西那須野町]]、[[塩原町]])、[[大田原市]](旧[[湯津上村]]を含む)の那須野が原の全域にわたる。
 
旧取水施設の東水門、西水門、導水路及び余水路が[[2006年]]に国の[[重要文化財]]に指定された。
 
== 関連項目 ==