「ジラード事件」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
WP:EL |
m 小校正 |
||
4行目:
当時の[[在日米軍]][[群馬県]]相馬が原演習地(現[[相馬原駐屯地]])では、実弾射撃訓練が行われていた。演習地は立ち入り禁止措置がなされていたが、近隣住民は現金収入を目当てに、しばしば演習地内に無断で侵入し、[[真鍮]]製の[[薬莢]]や[[鉄]]や[[鉛]]の弾頭類などの[[金属]]類を回収するようになった。
1957年(昭和32年)1月30日、薬莢
米国に住むジラードの家族が「裁判はアメリカでやるべきだ」と訴えを起こすが、当局は、日本での[[世論]]の高まりを考慮して棄却する。結局、ジラードは、日本で[[傷害致死罪]]で[[起訴]]され
{{DEFAULTSORT:しらあとしけん}}
|