「日米交渉」の版間の差分
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祝紀元弐千六百六拾九年 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
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'''日米交渉'''(にちべいこうしょう)とは、[[1941年]]
== 概要 ==
[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の[[中国大陸]]撤退を条件に、[[満州国]]の承認、日米通商関係の正常化などの交渉が、[[野村吉三郎]]駐米大使と[[コーデル・ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]との間で始められていた。
しかし、訪独の帰途の際、[[日ソ中立条約]]を締結した[[松岡洋右]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]は、対中政策の全面承認を主張した。その結果、日本軍の[[仏印進駐|南部仏印進駐]]はアメリカ側を硬化させ、交渉は決裂した。
その後、交渉は再開したものの、[[1941年]]11月26日[[ハル・ノート]]が手渡され、再び交渉は決裂し
{{DEFAULTSORT:にちへいこうしよう}}
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[[Category:日米関係]]
[[Category:昭和時代戦前の外交]]
[[Category:アメリカ合衆国の
[[Category:1941年]]
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