「日米交渉」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''日米交渉'''(にちべいこうしょう)とは、[[1941年]]4([[昭和16年]])4月から同年11月の間になされた、[[太平洋戦争]]勃発([[大東亜戦争]])開戦直前の[[大日本帝国]]および[[アメリカ合衆国]]間での国交調整交渉である。
 
== 概要 ==
[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の[[中国大陸]]撤退を条件に、[[満州国]]の承認、日米通商関係の正常化などの交渉が、[[野村吉三郎]]駐米大使と[[コーデル・ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]との間で始められていた。
 
しかし、訪独の帰途の際、[[日ソ中立条約]]を締結した[[松岡洋右]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]は、対中政策の全面承認を主張した。その結果、日本軍の[[仏印進駐|南部仏印進駐]]はアメリカ側を硬化させ、交渉は決裂した。
 
その後、交渉は再開したものの、[[1941年]]11月26日[[ハル・ノート]]が手渡され、再び交渉は決裂した。その翌月の[[、同年12月8日]](現地時間[[12月7日]])、[[真珠湾攻撃太平洋戦争]]により[[太平洋大東亜戦争]]が勃発し)の開戦に至った。
 
{{DEFAULTSORT:にちへいこうしよう}}
13行目:
[[Category:日米関係]]
[[Category:昭和時代戦前の外交]]
[[Category:アメリカ合衆国の国際関係歴史 (1918-1945)]]
[[Category:1941年]]