「1967-1968シーズンのNBA」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
VolkovBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: tr:1967–68 NBA sezonu
Alexbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる: 細部の編集
18行目:
'''1967-1968シーズンのNBA'''は、[[アメリカ合衆国]]男子プロ[[バスケットボール]]リーグ[[NBA]]の22回目のシーズンである。
 
== シーズン前 ==
=== ドラフト ===
[[NBAドラフト|ドラフト]]では[[ジミー・ウォーカー]]が、[[デトロイト・ピストンズ]]から全体1位指名を受けた。また[[アール・モンロー]]、[[ウォルト・フレイジャー]]らといった後に[[ニューヨーク・ニックス]]の主力メンバーとなる選手のほか、後に名将として名を馳せる[[パット・ライリー]]、[[フィル・ジャクソン]]もこの年にNBA入りした。
 
=== その他 ===
*新たに'''[[シアトル・スーパーソニックス]]'''、'''[[ヒューストン・ロケッツ|サンディエゴ・ロケッツ]]'''(後のヒューストン・ロケッツ)が加盟し、チーム数は12となった。両チームはウエスタン・デビジョンに編入され、かわりに[[デトロイト・ピストンズ]]がイースタン・デビジョンに移動した。
*レギュラーシーズンの試合数が81試合から82試合に増加した
 
== ABAの脅威 ==
前季[[1966-1967シーズンのNBA|1966-67シーズン]]中の2月1日、プロバスケットボールリーグ'''[[アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)|ABA]](American Basketball Association)が創設'''され、この年の10月18日から最初のシーズンがスタートした。
 
35行目:
このABAはNBAにとって極めて厄介な存在だった。リーグが2つに増えても選手の総数がすぐに2倍になるはずもないため、当然のように両リーグの間では壮絶な選手の引き抜き合戦が繰り広げられた(前季NBAの得点王である[[リック・バリー]]もこの年にABAの[[オークランド・オークス]]に移籍している)。これは選手のサラリーの高騰に繋がり、財政難に陥るチームが続出する。さらにABAに対抗するため強引な拡大策を採ったことが、NBA全体の水準の低下を招くこととなった。
 
== シーズン ==
=== オールスター ===
*開催日:2月23日
*開催地:[[ニューヨーク・ニックス]]
42行目:
*[[最優秀選手|MVP]]:[[ハル・グリア]] ([[フィラデルフィア・76ers]])
 
=== イースタン・デビジョン ===
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|+
60行目:
|}
 
=== ウエスタン・デビジョン ===
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|+
78行目:
|}
 
=== スタッツリーダー ===
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+
97行目:
<small>※[[1969-1970シーズンのNBA|1969-70シーズン]]以前はアベレージよりも通算でスタッツリーダーが決められていた。</small>
 
=== 各賞 ===
* '''[[最優秀選手 (NBA)|最優秀選手]]:''' [[ウィルト・チェンバレン]], [[フィラデルフィア・76ers]]
* '''[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (NBA)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]:''' [[アール・モンロー]], [[ワシントン・ウィザーズ|ボルチモア・ブレッツ]]
116行目:
**[[アール・モンロー]], [[ワシントン・ウィザーズ|ボルチモア・ブレッツ]]
 
=== シーズン概要 ===
*前季ついに念願の打倒[[ボストン・セルティックス]]を果たして優勝した[[フィラデルフィア・76ers]]と[[ウィルト・チェンバレン]]はこのシーズンも好調を維持し、リーグトップの勝率を収めた。76ersはチェンバレン、[[ハル・グリア]]、[[ビリー・カニンガム]]、[[チェット・ウォーカー]]ら11人が二桁得点アベレージを記録し、平均122.6得点はリーグトップだった。チェンバレンはリバウンドは3年連続、FG成功率は4年連続でリーグトップとなり、さらに通算アシスト数も[[オスカー・ロバートソン]]ら名[[ポイントガード]]らを抑えてリーグトップとなり、[[センター (バスケットボール)|センター]]としてはNBA史上唯一のアシスト王に輝き、リバウンド王とアシスト王を同時に達成した初めての選手にもなった。さらに1試合で22得点25リバウンド21アシストを記録し、NBA史上唯一となる、3つの項目で20以上を記録するという'''[[トリプル・ダブル|ダブル・トリプル・ダブル]]'''を達成した。チェンバレン自身は、この試合ではブロックショットも12本を記録しており、[[クアドルプル・ダブル]]だったと主張しているが、当時はブロックの数を計測していなかったので証明はできない。得点アベレージこそ24.3得点とキャリアハイだった50.4得点の半分以下だったが、オールラウンドプレイヤーとしてはこのシーズンこそがチェンバレンの絶頂期と言える。
*[[1964-1965シーズンのNBA|1965年]]に[[ボブ・ペティット]]が引退して以来低迷期に入っていた[[アトランタ・ホークス|セントルイス・ホークス]]は、[[ゼルモ・ビーティ]]、[[レニー・ウィルケンズ]]らが新たな主役となった。前季途中から指揮を採る[[リッチー・ゲーリン]]のもと平均110.3失点とリーグトップのディフェンス力を構築し、6年ぶりに地区優勝を果たした。
*[[デトロイト・ピストンズ]]所属の[[デイブ・ビン]]が得点王を獲得し、オールNBA1stチームにも選ばれた。前季の新人王にも選ばれているデイブ・ビンは、長い低迷期に入っているピストンズにとっては待望のスター選手だった。
 
== [[NBAプレーオフ|プレーオフ]]・[[NBAファイナル|ファイナル]] ==
{{3RoundBracket-Byes | RD1= デビジョン準決勝
| RD2= デビジョン決勝
177行目:
| RD3-score2='''4'''
}}
=== 王朝復権 ===
前季ついに連覇記録が途絶え、長期王朝時代に幕を閉じたかのように見えた[[ボストン・セルティックス]]が、僅か1シーズンで王座に復権した。セルティックス王朝の時代はまだ終わっていなかったのである。
 
188行目:
{{ボストン・セルティックス 1967-68NBA優勝}}
 
== 外部リンク ==
*[http://www.nba.com/history/season/19671968.html NBA.com HISTORY] {{en icon}}
*[http://www.nba.com/history/finals/19671968.html NBA.com HISTORY Finals] {{en icon}}
196行目:
{{NBAシーズン}}
{{bb end}}
{{basketball-stub}}
 
[[Category:NBAのシーズン|1967-68]]
[[Category:1968年のバスケットボール|NBA]]