「陪審法」の版間の差分

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陪審法の施行までの間に、政府は全国地裁に71か所の陪審法廷、陪審宿舎を準備した。また、広報活動を熱心に行い、全国でのべ3339回の講演会を行った<ref>丸田 (1990) 133頁。</ref>。
 
陪審法の初適用事件は[[1928年]]3月15日に起きた美人放火事件の被告人で、12月17日に大分地裁で陪審裁判が開かれ、12月21日に陪審員12人が被告人の無罪を答申し、裁判所は無罪判決を下した。
 
1928年(昭和3年)から1942年(昭和17年)までの間に、法定陪審事件2万5097件のうち、実際に陪審に付されたのは448件、請求陪審事件で請求があった43件のうち、実際に陪審に付されたのは12件であった法定陪審事件448件、請求陪審事件12件、合計460件が陪審裁判に付された。また、うち24件は陪審の更新がされ、これを合わせると484件の陪審裁判が行われた。うち81件に無罪判決が出た<ref>岡原昌男「『陪審法ノ停止ニ關スル法律』に就て」法曹会雑誌21巻4号、昭和18年、16頁(『我が国陪審裁判』所収)。</ref>。