「ボスホート2号」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
West (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
56行目:
ボスホート2号の船外活動によって、宇宙服さえ適切に設計されていれば、人間は宇宙空間で活動可能なことが実証された。搭乗したレオーノフとベリャーエフは[[中佐]]に昇進し、[[ソ連邦英雄]]の称号が与えられた。飛行中のトラブルは一般には公表されず、宇宙開発関係者の内部で処理された。当時、船外活動は技術的なハードルの高いものだと思われていたため、アメリカをはじめとする西側諸国は[[ボストーク1号]]以来の強い衝撃を受け、相次ぐソ連の成功に危機感を募らせた。
 
アメリカ合衆国は[[1965年]]6月に打ち上げる[[ジェミニ4号]]で船外活動を予定していた。当初の内容は宇宙船から体を乗り出すだけという慎重なものだったが、ボスホート2号の成功を受けて予定を変更し、23分間に渡って本格的な船外活動を行った。アメリカの[[ジェミニ宇宙船]]が12号まで打ち上げられたのに対し、ソ連のボスホート3号以降の飛行は全てキャンセルされた。以降両国は月有人飛行競争に突入し、ソ連は[[ソユーズ]]・[[ゾンド計画|ゾンド]]宇宙船、アメリカは[[アポロ計画|アポロ]]宇宙船]]を開発した。最終的に競争に勝利したのはアメリカだった。
 
ベリャーエフは[[アポロ11号]]・[[アポロ12号|12号]]の成功から間もない[[1970年]]に、病気のため若くして死亡した。レオーノフは、月競争終了後の[[1975年]]に行われたアメリカソ連共同ミッションの[[アポロ・ソユーズテスト計画]]に、ソ連側の宇宙船のソユーズ19号船長として参加している。
 
== 脚注 ==