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== 来歴 ==
=== MLB時代 ===
[[ブリティッシュコロンビア州]][[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]に生まれる。10歳の時に祖父からゴルフクラブやホッケースティックと共に[[キャッチャーミット]]をプレゼントされ、[[野球]]を始める。同時に[[アイスホッケー]]もプレーしており、ホッケーのスティックの持ち方が野球の左打ちに近かったため、左打者になった。ウッドランズ高校時代は学校に野球チームがなかったため、地域のクラブチームに所属。高校卒業時までは[[捕手]]であった。卒業後は[[不動産]]メンテナンスの職に付くが、1年後[[カナダ]]の選抜チームに選ばれ、そこでの実力が評価され[[クワントレン大学]]に奨学金で進学、同時に外野手に転する<ref name="wb">[[週刊ベースボール]],4月27日号(ベースボールマガジン社刊)</ref>。[[1992年]]、[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|カリフォルニア・エンゼルス]]からドラフト21巡目(全体580位)で指名され契約。身体能力の高さ、野球選手としての伸びしろを評価されての指名であった<ref name="wb"></ref>。その後[[1997年]]に[[サンディエゴ・パドレス]]へ[[トレード]]され、[[2000年]]に[[フリーエージェント (プロスポーツ)|FA]]選手として[[オークランド・アスレチックス]]と契約。[[2000年]]3月に解雇され、[[4月1日]]に[[メキシカンリーグ]]の[[オアハカ・ウォーリアーズ]]に入団。メキシコ時代には「カナダに帰ることも考えた」というが、我慢してプレーを続け<ref name="wb"></ref>、同年[[6月13日]]に[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に移籍。ロイヤルズ傘下の3Aタコマ所属時は抜け目のないプレースタイルで人気者だったという<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/3005033/ カンサスシティ・スター紙]</ref>。
 
{{by|2002年}}[[6月22日]]、29歳で念願のメジャーデビュー。翌{{by|2003年}}は99試合に出場し、自己最高の[[打率]].277、15[[本塁打]]、52[[打点]]を記録。{{by|2004年}}[[8月12日]]の[[シカゴ・ホワイトソックス]]戦で、当時ホワイトソックスに在籍した{{by|2007年}}ヤクルトで同僚となる[[高津臣吾]]と1度だけ対戦している。結果は空振り[[三振]]であった<ref>{{Cite web |url=http://www.baseball-reference.com/boxes/CHA/CHA200408120.shtml |title=August 12, 2004 Kansas City Royals at Chicago White Sox Play by Play and Box Score |language=英語 |publisher=Baseball-Reference.com |accessdate=2008-03-31}}</ref>。{{by|2005年}}頃までメジャーとマイナーを往復する日々が続いたが、[[ジョージ・アリアス]](元[[阪神タイガース]])から日本球界についての話を聞き、[[イチロー]]の活躍を目にしたことで、日本球界への興味が湧いていったという。{{by|2006年}}の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|ワールド・ベースボール・クラシック]]には[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表|カナダ代表]]として出場。1次リーグ3試合で9[[打数]]2[[安打]]6[[三振]]という成績だった<ref>{{Cite web |url=http://ww2.worldbaseballclassic.com/2006/stats/stats.jsp?t=t_ibp&cid=784 |title=World Baseball Classic: Statistics |language=英語 |publisher=MLB Advanced Media |accessdate=2008-03-31}}</ref>。[[7月5日]]にロイヤルズから[[ニューヨーク・ヤンキース]]に移籍。[[松井秀喜]]がケガで戦列を離脱した後の外野を守ったが、シーズン終了後解雇された。ヤンキース所属時に、松井秀喜のひたむきな練習姿勢に感銘を受け、日本球界への熱意が湧いたと語っている<ref name="wb"></ref>。