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呆庵入道 (会話 | 投稿記録)
m 小川宮の諱は伝わっていないのではなく、最初から命名されていないのです。
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'''小川宮'''(おがわのみや、[[応永]]11年([[1404年]])6月 - 応永32年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]([[1425年]][[3月6日]]))は、 [[室町時代]]の[[日本]]の[[皇族]]。元服を遂げないまま死去したため、諱は不明命名されていない
 
== 系譜 ==
[[後小松天皇]]の第2皇子母は日野西資国の娘光範門院[[日野西資子]]。同母兄弟に、兄の[[称光天皇]]、妹の理永女王がいる。
 
== 略歴 ==
父の後小松上皇により、病弱で子のいなかった称光天皇の後継者とされる。しかし、兄とは仲が良くなかったようで、[[伏見宮貞成親王]]の日記(「[[看聞日記]]」)には、称光天皇のかわいがっていた[[ヒツジ|羊]]を譲り受けたうえで、殺してしまったとの伝聞も記されている。
 
22歳で応永32年[[勧修寺経興]]亭にて21歳で死去。称光天皇子どもはなく、兄よりも先に、急したことから、皇統はやがて[[後光厳天皇]]から始まる後小松上皇の系統から、[[崇光天皇]]に始まる[[伏見宮]]の系統へと移ることとなった。
 
== 参考文献 ==