「マルクス主義」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
88行目:
 
マルクスの理論に基づいてレーニンやスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧したので、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧するポスト全体主義体制でしかなかった。階級廃絶を主張していたが、<党官僚>という偽善的な新階級を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中した。[[ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス|ミーゼス]]や[[フリードリヒ・ハイエク|ハイエク]]は社会主義、共産主義、ナチズム、ファシズムは同根的な[[集産主義]]であり、計画経済や社会主義・共産主義が『独裁制の全体主義』に陥るのは必然的なことだったとの指摘をした。
 
レーニンは著書[[国家と革命]]の中で、共産社会が実現した暁には国家経済の運営は極めて単純になり、郵便事業をモデルとした読み書きと四則演算ができる程度の人材であれば誰でもその運営に携われるとしたが、実際には計画経済を立案・実施するためには極めて専門的な知識と技能をもったエリート集団が必要となり、庶民とはかけ離れた特権的[[官僚]]組織を生み出した。また治安維持についても「泣いている子がいれば近所の人間が黙っていないように」社会が自発的に秩序を保つと予言したが、実際にソ連国家が生み出したのは[[秘密警察]]や強制労働・組織的[[拷問]]などの歴史上まれに見る[[権力]]による暴力組織であった。
 
また、需給に関する全ての情報が効率的に集められない以上、効果的な計画経済は不可能であるとの指摘([[経済計算論争]])もある。現実に、道路建設、住宅建設、宇宙事業などの大規模な重厚長大産業では大きな効果を発揮したが、スピードと多様性が要求される情報産業やサービス産業には対応できず(コンピュータネットワークが発達すると、計画経済はコンピュータを活用して初めて可能になるという議論も現れたが、実践の試みであるチリの[[サイバーシン計画]]は政権転覆により中絶した)、民需品の品質は低いものが多かった。1960年代後半には宇宙事業でもアメリカの後塵を拝した。ソビエト共産党自身もその不合理性を認め、政治・経済の自由化を推し進め、1991年に解散した。<ref> [[フランシス・フクヤマ]]:『歴史の終わり』</ref>