「来目皇子」の版間の差分

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関連項目
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[[河内国]]埴生山(はにゅうのやま)岡上に葬られた。現在、同墓は[[大阪府]][[羽曳野市]]はびきの三丁目の[[塚穴古墳]]([[方墳]]・一辺約50m)に比定され、[[宮内庁]]の管理下にある。
 
== 系譜<small><ref>日田王を除く4人の王子女は『聖徳太子平氏伝雑勘文』所引『[[上宮記]]』による。</ref></small> ==
== 系譜 ==
*父:[[用明天皇]]
*母:[[穴穂部間人皇女]] - [[欽明天皇]]皇女・用明天皇異母妹
*同母兄弟姉妹:[[聖徳太子]]・殖栗皇子・茨田皇子
 
*妃:由波利王<ref>読みは「ゆばりのみこ」</ref>(桜井弓張皇女とも)- [[敏達天皇]]皇女
**男子:男王<ref>読みは「おとこのみこ」</ref>
**女子:星河女王<ref>読みは「ほしかわのひめみこ」</ref>
**男子:佐富王<ref>読みは「さほのみこ」</ref>
*妃:比里古郎女<ref>読みは「ひろこのいらつめ」</ref> - [[膳傾子]]女、[[膳部菩岐々美郎女|菩岐岐美郎女]]妹
**男子:高椅王<ref>読みは「たかはしのみこ」</ref>
*生母不明
**男子:日田王<ref>中田憲信『皇胤志』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年 による)</ref> - 子孫は登美真人
 
 
:*子孫:[[山村王]]・[[登美直名]]など
 
== 関連項目 ==
*[[久米寺]]・・・来目王子が開基とされる。
 
== 脚注 ==