「キール運河」の版間の差分

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最初に北海とバルト海を繋いだのは、[[アイダー運河]] (Eiderkanal) である。[[アイダー川]]を拡張し2つの海を結んだもので、1784年に完成した。しかし、この運河は幅29メートル、深さ3メートルの規模しかなく、通航できる船が喫水の浅い船のみに制限されていた。
 
1887年には、バルト海沿いの軍港[[キール (都市)|キール]]と北海(エルベ川河口)に面したブルンスビュッテル[[w:Brunsbüttel]]
とを結ぶ新運河「キール運河」の建造が開始され、1895年に完成した。その後、1907年と1914年に拡張された。スエズ、パナマ両運河と並ぶ世界三大運河の一つに数えられる国際運河である。、正式には北海バルト海運河(Nord-Ostsee Kanal)と呼ばれ、長さ98 km、幅102 m、水深11 mである。北海とバルト海の海面の間に高度差は少ないが、潮の満ち干に対応するための閘門(こうもん)が運河の両端にある。
1919年の[[ヴェルサイユ条約]]第380条で、この運河は[[ドイツ]]の主権下にはおかれるものの、すべての国の商船に通行権があたえられるとして[[国際運河]]となり、1923年の[[国際司法裁判所]]によるウィンブルドン号事件判決でも追認された。しかし、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]政権が成立した1936年には廃棄され、ドイツが閉鎖的に活用することとなった。現在、[[ドイツ連邦共和国]]ではこの運河を国際運河として、広く世界各国に開放している。