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'''アウスグライヒ'''(「和協」「妥協」、'''Österreichisch-Ungarischer Ausgleich''', ハンガリー語: '''Kiegyezés''')とは、[[オーストリア帝国]]の外交政策、[[1867年]]頃の政治的戦略名。結果、[[オーストリアハンガリー帝国]]の誕生につながる。
 
1867年、時のオーストリア帝国は、[[イタリア統一戦争]]・[[普墺戦争]]等の[[戦争]]に敗北し、[[外交]]においては[[ロシア帝国]]との関係を悪化させ、その世界的地位を低下させてきた。そのような中、多民族国家であるオーストリア帝国内の諸民族は活発に自治・権利を獲得するための運動をしていた。連邦的改変を求める声が諸民族からあがったが、権利を失いたくない支配者階級の[[ドイツ]]の抵抗と国色の変化を恐れた[[皇帝]][[フランツ・ヨーゼフ1世]]の反対もあり、[[マジャル人]]([[ハンガリー人]])と協力して帝国内の諸民族を抑えることとした。このドイツ人とハンガリー人との妥協をアウスグライヒという。
 
== 関連項目 ==
*[[ナゴドバ法]](-nagodba) [[1868年]]に結ばれた[[ハンガリー王国]]におけるハンガリー人と[[クロアチア人]]の協定。同じく妥協と意味であり、クロアチア人の[[自治]]を認めた。
 
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