「木原信敏」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 除去: zh:木原信敏; 細部の編集
誤字修正他
1行目:
'''木原 信敏'''(きはら のぶとし {{jdate|1926}}[[10月14日]] -)は、[[日本]]の[[技術者]]であり[[実業家]]。</br>元ソニー木原研究所会長。[[ソニー]]技術中興の祖。創業者[[井深大]]から見出され、ソニー創世記成期の基礎技術を確立させる。創業期メンバーの一人。1990年紫綬褒章受賞。
 
== 略歴 ==
28行目:
== 主なエピソード ==
* 木原と東通工(東京通信工業)との初めての接点は神田の電気街の露店だった。
* 建物が木造時代だった東通工の新入社員第一号である。機械科卒業だが、ラジオが作れる、電蓄を作れ組み立てたことがある等、履歴書にはおよそ機械とは直接関係の無い電気のことばかりを書いた。
* 部品買いのため神田の電気街では知られた顔だった。
* 通勤には役員駐車場をあてがわれ特別待遇を受けた。少しでも技術開発に時間を割いて欲しい井深の計らいであった。
37行目:
* アメリカの録音テープの規格サイズを知らず、独自のテープ幅を作った。のちにアメリカのインチ規格を知ることになるが「そんないんちきは知らなかった」とつぶやいた。
* 高周波を聴き分ける“特技”でNHKの高橋圭三のテレビ番組「私の秘密」に出演した。普通の人間は2万ヘルツまでだが、3万ヘルツまで聴き分けた。
* 木原の結婚式の場で、師と仰ぐ井深より「木原君は金の卵を生むニワトリです」と祝辞を受けた。また井深は「今、皆様がお撮りになっている8mm(フィルム)を電子化するのは彼です」と言い、席上、木原は井深の先見性に驚くと共に、8ミリビデオ開発の原動力になったと述べている。</br>後年、井深に「お約束どおり8ミリビデオを作ることができました」と開発報告をしている