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{{Thumbnail:ノーベル賞受賞者|1971年|ノーベル生理学・医学賞|ホルモンの作用機作に関する発見(cAMPに関する研究)}}
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'''エール・ウィルバー・サザランド・ジュニア'''('''Earl Wilbur Sutherland Jr.'''、[[1915年]][[11月19日]] - [[1974年]][[3月9日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[生理学者]]。[[カンザス州]][[バーリンゲーム]]にて生まれる。[[1971年]]、([[環状アデノシン一リン酸|cAMP]]の様な)[[セカンドメッセンジャー]]による「[[ホルモン]]の作用機作に関する発見」により、[[ノーベル生理学・医学賞]]を受賞した。
 
[[1937年]]、[[カンザス州]][[トピカ (カンザス州)|トピカ]]にある[[ウオッシュバン大学]]にて科学の学士号を受け取る。[[1942年]]に[[ミズーリ州]][[セントルイス]]の[[ワシントン大学_(セントルイス)|ワシントン大学]]メディカルスクールを卒業。[[第二次世界大戦]]中に[[医師]]を務めた後に[[ワシントン大学_(セントルイス)|ワシントン大学]]に戻り、[[カール・コリ]]の研究室にて研究者を務める。[[1953年]]、[[オハイオ州]][[クリーブランド (オハイオ州)|クリーブランド]]の[[ケース・ウェスタン・リザーブ大学]]医学部長となる。彼はここでcAMPを発見した。[[1963年]]、研究の義務を減らすために[[ナッシュビル]]の[[バンダービル大学]]にて[[生理学]]教授に就任し、[[1973年]]まで働いた。[[1966年]]には[[アメリカ科学アカデミー]]に選ばれ、[[1970年]]には[[アルバート・ラスカー基礎医学研究賞]]を受賞。[[1973年]]には[[アメリカ国家科学賞]]を受け取る。1974年、彼が死去したとき、[[マイアミ大学 (フロリダ州)|マイアミ大学]]メディカルスクールの[[生化学]]の教授であった。