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*合従は諸国が連合し秦に対抗する政策のことで、これは、秦以外の国が秦の東に南北に並んでいること(「縦」=「従」)による。
*連衡は秦と同盟し生き残りを図る政策のことで、信徒それ以外の国が手を組んだ場合、それらが東西に並ぶことを「横」=「衡」といったことによる。
 
ちなみに蘇秦は秦以外の六国を連盟させることに成功し、そのために秦はその後15年にわたって戦争を仕掛けてこなかった。かといって、それでは蘇秦が平和のため、あるいは中国をよいものにするためにこのような連盟をもくろんだのではなさそうである。彼はまず燕の国を説き、そこからこの連合を完成させたが、実はその前に秦を訪れ、「戦のjyんびをすれば天下をひと飲みに出来る」と説いていた。彼が受け入れられなかったのは当時秦で[[商君]]が処刑されたところで、国外のものに警戒感を持っていたためと言われる。
 
なお、連衡の論者は往々にして秦の息のかかったものであり、それ以外の国の間を対立させ、どこかの国と手を組むことで敵になった国を攻撃し、あるいは手を組んだ国から土地や城を供出させることを目指した。[[張儀]]はその典型である。これによって、次第に秦の版図は拡大し、ついに全国統一を行うに至る、というのが戦国時代後半の歴史である。