「砺波平野」の版間の差分

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== 地理 ==
南に[[飛騨高地]]を控え、[[小矢部川]]及び[[庄川]]の[[扇状地]]が発達している。[[村落|散居村]]で有名である。なぜ各家が離れているのかについては諸説ある。「荒れ野の所々に小屋を掛け、用水を引き、開作」と記した古文書が残っている{{要出典}}。開作とは開墾、開拓のことで加賀藩では改作とも書かれる。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期から、[[江戸時代]]中期にかけて砺波平野の水田開拓が進んだのは、[[加賀藩]]の様々な奨励策が奏効したと考えられている{{要出典}}。中でも「開墾した田畑は藩主に属すが、開墾した百姓にはその田畑を自前で耕作することを許された」ことが住居が散在した大きい要因と考えられている{{要出典}}。散居の各家は「カイニョ」と称する[[屋敷林]]を備える。漢字でかくと垣饒(かきにょう)がなまったもので、垣のように饒(めぐ)らせた樹木である。これにはいくつかの目的がある。
 
#風雨から家屋を守るため。