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第一次世界大戦後、トレントとイタリア語が話される県は、[[ボルツァーノ]]及びアルプスの分水嶺の南部(ドイツ語話者が主)からなるティロルの一部とともに、イタリア王国へ併合された。
 
1943年、ムッソリーニは地位を追われ、イタリアはシチリア経由で南イタリアへ侵攻した[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍に降伏した。ドイツ軍は即座に北イタリアとトレント県に侵入し、ベッルーノ県とボルツァーノ=ボーツェン県は[[:de:Operationszone Alpenvorland|アルプス山麓軍事地帯]]の一部となって、大ドイツに併合された。多くのドイツ語話者が一帯に住むイタリア語話者に報復を望んだが、報復行為はほとんどが支配している[[ナチス]]によって妨げられた。ナチスはいまだムッソリーニを[[イタリア社会共和国]]の元首とみなしており、ファシスト政権との友好関係を維持したかったためであった。1944年11月から1945年4月にかけて、トレントはブレンナーの戦いと呼ばれる一連の戦いの中で爆撃された。ドイツからの軍用必要物資は[[ゴシック・ライン]]を支援することであり、最も主要なルートは[[ブレンナー峠]]を通っていく鉄道路線であった。6,849回以上の出撃は、[[ヴェローナ]]からブレンナー峠へ10,267トンの爆弾を落下させる、標的への爆撃飛行であった。サンタ・マリア・マッジョーレ教会、聖母被昇天教会、アディジェ川にかかる数カ所の橋を含むトレント市の一部は、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側の爆撃が当たった。爆撃にもかかわらず、中世とルネサンス期の中心区ほとんどが危害を加えられなかった。
 
1950年代から、イタリア中央政府から自治州の地位を与えられたことで、トレント一帯は経済成長した。