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* [[後醍醐天皇]]は先例に反し、[[元号]]に「武」の字を用いたが([[建武 (日本)|建武]])、天皇は「現在の例もかつては新義であった。朕の新儀は未来の先例たるべし」と反対論を退けた。
* [[足利義満]]に対し、死後、上皇([[太上天皇]])追号の打診があったが、[[室町幕府|幕府]]は先例のないことを理由に辞退した。
* [[尊号一件]] - [[光格天皇]]が実父の[[典仁親王]]に[[上皇]]の[[尊号]]を贈ろうとして、先例がないことを理由に反対する幕府と対立した事件。
* [[1881年]][[ハワイ王国]]より[[カイウラニ]]王女と日本の皇族、[[東伏見宮依仁親王|山階宮定麿親王]]との婚姻申し入れがあったが、日本側は「前例がない」としてこれを断ったという。<ref>『ハワイ王朝最後の女王』 猿谷要・著 (文芸春秋社)</ref>
* 魏武輔漢の故事 - [[魏 (三国)|魏]]の[[曹丕]]が[[後漢]]の[[献帝]]から[[禅譲]]を受けた手順が王朝交替の先例となったもの。