「リュシアン・ルバテ」の版間の差分
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[[1933年]]より、同じく[[保守]]系の新聞『[[ジュ・スィ・パルトゥ]]』に寄稿。以後は、以前より政治的主張で違和感を覚えていた『アクション・フランセーズ』ではなく、こちらを中心にジャーナリストとして活躍する。
1933年に隣国[[ドイツ]]において、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]を中心とする[[ヒトラー内閣|内閣]]が誕生すると、ルバテはその強行的な”改革
しかしその後、ヒトラーによる[[オーストリア併合]]、[[ズデーテン]]地方の併合を黙認している[[フランス第三共和政|フランス第三共和国]]において、このような強力な国家を樹立することは不可能と断じ、その後、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻|対独戦]]が始まると、[[敗北主義]]的論調を執筆するようになった。
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対独戦においては従軍するも、フランス軍は連敗に継ぐ連敗で、前線は後退しつづけ、ルバテもそれに従い国土を南下する。その後フランスは対した戦果を挙げることもなく降伏。首都[[パリ]]は占領され、南部[[ヴィシー]]に親独中立の[[ヴィシー・フランス]]が成立した。このころ、反ドイツの思いからパリを脱出した『アクション・フランセーズ』を脱退。パリで『ジュ・スィ・パルトゥ』への寄稿に専念することになった。
[[1942年]]に、ユダヤ人、『アクション・フランセーズ』の盟友、フランス革命以来の伝統的右翼、第三共和国、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]、はては[[ナチス・ドイツ]]に対する不満や怒りや憎悪をぶちまけた問題作『残骸』を発表する。これは占領下のフランスでベストセラーとなった。
[[1943年]]以後、次第に敗色が濃くなってゆく[[ナチス・ドイツ]]を見て、多くの対独協力派が離反してゆくことになるが、ルバテだけは最後まで[[ナチズム]]信奉を貫いた。ちょうど同時期に取り掛かっていた大長編小説を執筆しながら、撤退してゆくドイツ軍に従軍し、ドイツやオーストリアを転々とするも、その膨大な原稿から逃亡が不可能になり、原稿を妻に託して、[[1945年]]5月8日、連合国軍に出頭した。
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