「マリー・グートハイル=ショーダー」の版間の差分

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{{クラシック音楽}}'''マリー・グートハイル=ショーダー'''('''''Marie Gutheil-Schoder''''', *[[1874年]][[2月16日]] [[ヴァイマル]]; – †[[1935年]][[10月4日]] [[イルメナウ]])は、20世紀前半の最も重要なドイツ人[[ソプラノ]]歌手の一人。
 
[[1880年]]より個人指導で音楽を学び、[[ヴァイマル大公国]]国立音楽学校に進学した。[[1891年]]にオペラ歌手として初舞台を踏み<ref>デビューした時の演目ついては、独語版ウィキペディアは「《ガブリエル》や《ファウスト》でデビュー」としており、英語版では「郷里ヴァイマルで《魔笛》の第1の婦人という端役でデビュー」としており、混乱が見られる。</ref>、[[1900年]]までヴァイマル宮廷劇場に所属した。ヴァイマルで[[リヒャルト・シュトラウス]]に見出され、《[[カルメン]]》や《[[ミニョン]]》の主役について一緒に研究した後、それぞれの解釈によって名を揚げた。[[リヒャルト・シュトラウス]]に同行して[[バイロイト]]にも出向き、合唱団の一員として出演している。[[1899年]]にヴァイマル宮廷楽長のグスタフ・グートハイルと結婚。
 
 
[[1900年]]に[[グスタフ・マーラー]]と契約を結んで[[ウィーン宮廷歌劇場]]に進出する。さしあたって同年[[2月19日]]には《[[道化師_(レオンカヴァッロ)|道化師]]》のネッダ役で[[ウィーン]]に客演し、[[5月26日]]に《カルメン》のタイトルロールで宮廷歌劇場の一員としてデビューした。[[1902年]]にウィーンでG & T社のために、《カルメン》からの2曲に加え、《[[ウィンザーの陽気な女房たち]]》のアリア1曲、《白婦人》や《[[ホフマン物語]]》からの二重唱を録音する。[[1913年]]には《[[ばらの騎士]]》のオクタヴィアン役で[[コヴェント・ガーデン]]にも出演した。
 
当たり役の一つは、「風変わりな[[ニーチェ]]風の」カルメンだった。その他の十八番の役柄に、エヴァ、パミーナ、[[マノン・レスコー_(プッチーニ)|ミミ]]、[[サロメ_(歌劇)|サロメ]]、マルタ、[[ケルビーノ_(マスネ)|シェリュバン]]、エルビーラ伯爵夫人がある。
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[[Category:ドイツのオペラ歌手]]
[[Category:オーストリアのオペラ歌手]]