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陳寿は『蜀書』王平伝で「長らく軍旅にあったため文章が書けず、知っている字は10字に満たなかったが、口述筆記させた文章は道理に適っていた。『[[史記]]』・『[[漢書]]』を人に読んでもらってその大略をつかみ、論じては要旨を捉えていた。法律を忠実に履行し、戯言を口にせず、終日端座するという武将らしからぬ様子であった。(中略)忠勇にして厳整な人物であった」と評する<ref>「平生長戎旅、手不能書、其所識不過十字、而口授作書、皆有意理。使人讀史・漢諸紀傳、聽之、備知其大義、往往論説不失其指。遵履法度、言不戲謔、從朝至夕、端坐徹日、[忄畫]無武將之體、(中略)評曰・・・王平忠勇而嚴整」。なお、中略部分につきノートも参照。</ref>。
 
小説『[[三国志演義]]』では、漢中攻防戦に際して、漢中の地理に詳しいことから曹操に郷導使に任命されるも、[[徐晃]]と仲違いして殺されかけたために劉備に降り、以後蜀の武将として仕えたことになっている。また[[南蛮]]戦(南征)でも活躍している。諸葛亮は臨終の時、忠義の士として[[廖化]]や[[馬岱]]らとともに王平の名前も挙げている。
 
== 注釈 ==