「ボナパルト朝」の版間の差分

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*実子:[[ナポレオン2世]] - ローマ王・ライヒシュタット公
*妹婿:[[ジョアシャン・ミュラ]] - ナポリ王(ジョアッキーノ1世)
彼らは必ずしも私欲に走ったりナポレオンに追随したわけではなく、ホラント王のルイやナポリ王のミュラなどのように、現地の利益にある程度配慮した政策を行って支持を得る一方、ナポレオンと不和になったり廃位させられた者もいる。いずれにしても、彼らはナポレオンの失脚ととも没落した。
 
上記の他、兄嫁の妹で元婚約者である[[デジレ・クラリー]]の夫[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|ジャン=バティスト・ベルナドット]]を[[スウェーデン]]の王太子に据えているが、スウェーデン国内で支持を得ていたベルナドットはナポレオン失脚後もその地位を保って王位に就き、現在まで続く[[ベルナドッテ王朝]]の祖となった<!--「ジャン=バティスト」はフランス語の「洗礼者ヨハネ」であり、一纏まりで人名です-->
 
ナポレオン1世の没落から約30年後の1848年、ルイ・ボナパルトの三男ルイ=ナポレオン・ボナパルトが、[[フランス第二共和政|第二共和政]]の下で行われた最初の大統領選挙に当選し、1852年にはクーデターと選挙によって帝政を復活させ、[[ナポレオン3世]]として即位した([[フランス第二帝政]])。