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'''東郷 実猗'''(とうごう さねなが、[[天保]]5年[[12月19日 (旧暦)|12月19日]]([[1835年]][[1月17日]]) - [[明治]]20年([[1887年]])[[8月23日]])は、[[幕末]]の[[薩摩藩|薩摩]][[藩士]]。[[幼名]]は勝熊、神熊。[[通称]]は四郎兵衛。[[諱]]は実猗、明治時代に重猗に改名。野村彦兵衛の門人となり、[[砲術]]萩野流皆伝。宗旨は[[禅宗]]のち[[日蓮宗]]。一般的には通称の四郎兵衛で知られる。また、陽明学者の[[伊東祐之 (薩摩藩士)|伊東茂右衛門祐之]]に師事する。[[西南戦争]]では弟の小倉壮九郎や親戚で水野流[[居合]]の師範の篠崎七郎左衛門とともに薩軍に参加し負傷。高齢の為、官軍から処罰されなかった。明治年間に日当山(現在の鹿児島県[[霧島市]][[隼人町]])に移る。
 
 
== 経歴 ==
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[[Category:1835年生]]
[[Category:1887年没]]
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