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一方で田中はこれらの交渉の中で日朝国交正常化を優先し、[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致被害者問題]]を軽視したとの批判に曝され、普天間基地交渉でも行なわれた隠密交渉を好む「秘密外交」スタイルとも相俟って、マスコミに激しく糾弾されることとなった。同年10月に帰国した拉致被害者5人については、北朝鮮への一時帰国が事実上合意されていたことを明らかにしている。
 
こうした批判は一部でエスカレートし、2003年9月10日には「[[建国義勇軍|建国義勇軍国賊征伐隊]]」を名乗る右翼団体によって、「敵国と通じ便宜を図るに精を出し」「心ある国民をして憤激せしめ」る人物(犯行声明より)として自宅ガレージに爆発物が仕掛けられる事件も発生した。この事件に対し、田中に対して批判的な[[石原慎太郎]]東京都都知事は「(売国的行為をしたのだから)当ったり前の話だと思う」とコメントがなされた。
 
2003年12月12日の[[東京国際フォーラム]]で開かれた日本と[[ASEAN]]との交流を記念したレセプションでは、[[拉致議連]]の顧問を務めている[[中川昭一]][[経済産業大臣|経産相]](当時)に対して「大臣、北朝鮮のような小さな問題ではなく、もっと大きな事に関心をもってくださいよ」などと発言し、中川は「北朝鮮による拉致で、子どもや家族が26年間も帰ってこない人たちがいる。それでも小さい問題なのか。 あなたみたいに北朝鮮のスパイみたいなようなことをしていては駄目なのだ」と激怒したとされる(『[[週刊新潮]]』2004年1月1・8日合併号)。