「アレクサンドル・アルハンゲルスキー」の版間の差分

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同姓の人物名は、現代日本では通例「'''アルハンゲリスキー'''」と転写されその方がより原音に近いとされる事が多いが<ref>明治時代から戦前にかけての外国語固有名詞の転写と、現代日本における転写の結果とが違う事例は各分野で見られる。例えば【"America"「メリケン」「アメリカ」】【"Hepburn"「ヘボン」「ヘップバーン」】などである。転写の形態は時代によって頻繁に変わるものであり、どれを以て正当なものと看做すかは判断の非常に難しいところである。</ref>、正教会の聖歌作曲家たる本項目の人物については[[日本正教会]]で行われている表記である「アルハンゲルスキー」が用いられる事が多く、本項の記事名・表記もそれに準拠した。
 
== 略歴 ==
1846年、農村[[司祭]]の子として生まれる。[[ペンザ]]の中等神学校で音楽教育を受けた後、16歳で聖歌隊の主唱者となる。作曲法と和声法をN.ポトゥレフ([[1810年|1810]] - [[1873年|1873]])に師事。同時期にクリュキー記号(近代以前のロシア聖歌の記譜法)によって記録された古典聖歌の研究に取り組み始めた。
 
1880年に[[サンクトペテルブルク|ペテルブルク]]に来てから、終生彼が指導し続ける事に成る合唱団を組織する。この時、公式な聖歌隊としてはロシア正教会で初めて[[ソプラノ]]と[[アルト]]を導入し、[[混声合唱]]を採用した(それまでは少年合唱が高音部を歌っていた)。
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1924年に永眠。サンクトペテルブルクの[[アレクサンドル・ネフスキー大修道院]]に埋葬された。
 
== ==
{{Reflist}}
<references />
 
== 外部リンク ==
*{{en icon}} [http://www.cpdl.org/wiki/index.php/Alexander_Arkhangelsky Alexander Arkhangelsky] - A.アルハンゲルスキーの譜面集([[:en:Choral Public Domain Library|Choral Public Domain Library]])
 
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