「エリエル・サーリネン」の版間の差分

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サーリネンは[[ロシア帝国]]領だったフィンランドの[[ヘルシンキ]]で美術の教育を受け、後にヘルシンキ工科大学で[[建築]]を学んだ。彼は学校でともに学んだ[[ヘルマン・ゲゼリウス]]や[[アルマス・リンドグレン]]と事務所を作り共同生活した。彼の最初の大きな作品は、[[1900年]][[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万博]]のフィンランド・パヴィリオンであり、フィンランドの木造建築、イギリスの[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]、ドイツの[[ユーゲント・シュティール]]などさまざまな様式からの影響をひとつに纏め上げた作品であった。彼の初期の建築スタイルは19世紀末期、「[[カレワラ]]」や欧州各地に広がった民族主義を背景にフィンランドで燃え上っていた[[ナショナル・ロマンティシズム|国民的ロマン主義]]の建築分野における展開であった。国民的ロマン主義は[[ヘルシンキ中央駅]]([[1904年]]設計、[[1910年]]-[[1914年]]建設)の設計で頂点に達したが、このコンペ入賞をきっかけにロマン主義の同志であったゲゼリウスやリンドグレンらとの共同活動には終止符が打たれ、サーリネンは独立することとなった。サーリネンは他にもフィンランド国立博物館(1912年)を設計したほか、1922年に発行された[[フィンランド・マルッカ|マルッカ]]紙幣もデザインしている。
 
[[都市計画]]分野でも活躍し、1910年からのヘルシンキ中央駅周辺整備計画から、1911年には[[ハンガリー]]の[[首都]][[ブタペスト]]の都市計画顧問をつとめ、1912年、オーストラリア連邦首都[[キャンベラ]]計画の[[建築設計競技|コンペ]](Commonwealth of Australia Federal Capital Competition)では[[ウォルター・バーリー・グリフィン]]に続いて2等に入選、[[エストニア]]・[[タリン]]の再開発都市計画[[建築設計競技|コンペ]]では見事1等に輝く。母国フィンランド独立後は首都ヘルシンキの都市計画顧問を努める。1915年、ムンキニエミ・ハーガ住宅地開発計画を担当し、1918年には大ヘルシンキ計画チ-レンハラディプランを発表した。
 
[[1922年]]、[[シカゴ・トリビューン]]社の本社屋、[[トリビューン・タワー]]の国際[[建築設計競技]]が行われ、サーリネンは二位を獲得した。水平の線を廃して上へと伸びる垂直線を強調し、上層部になるほどセットバックして細くなる彼のデザイン<ref>http://www.bc.edu/bc_org/avp/cas/fnart/fa267/20th/tribune_saarinen.jpg</ref>は一位になれず実現しなかったものの、屋上を押さえつけるように[[コーニス]]を配したそれまでの箱型の高層ビルとは異なる、ゴシック的で上昇感の強いデザインはアメリカの建築界に衝撃を与え、以後アメリカ各地にサーリネンのデザインを模した上に向かって細くなる超高層ビルデザインが氾濫した。トリビューン・タワー設計を機に彼は家族とともに翌[[1923年]]アメリカに移住し、[[ミシガン州]]を拠点に設計・教育活動を続けた。
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[[1925年]]、地元ミシガン州の大手新聞社主で、芸術愛好家でもあったジョージ・ゴフ・ブース(George Gough Booth)は、彼が構想していたアメリカ版[[バウハウス]]となるべき学校群、クランブルック教育コミュニティ([[:en:Cranbrook Educational Community|Cranbrook Educational Community]])のキャンパスの設計をサーリネンに依頼した。サーリネンは1932年に、クランブルック教育コミュニティに新たに開学したクランブルック美術アカデミーの校長となった。ここから、[[チャールズ・イームズ]]や[[レイ・イームズ]](当時はレイ・カイザー)などの優れたデザイナーや芸術家が生まれた。サーリネンはイームズ夫妻のその後の家具デザインに大きな影響を与えた。彼は[[アナーバー (ミシガン州)|アナーバー市]]にある[[ミシガン大学]]の建築学部教授にもなった。今日、ミシガン大学のタウブマン建築・都市計画学部の客員教授プログラムはサーリネンを記念してその名が冠されている。
 
彼の息子、'''[[エーロ・サーリネン]]'''([[1910年]]-[[1961年]])は20世紀半ば(ミッド・センチュリー)のアメリカを代表する建築家となった。また教え子の中からは、1949年から1970年にかけて[[フィラデルフィア]]の[[都市計画]]に携わり高く評価された[[エドモンド・N・ベーコン]]も出ている。
 
== 建築作品 ==