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平成21年10月2日の日本経済新聞「文化往来」より
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'''歩兵の本領'''(歩兵の歌)は、日本の[[軍歌]]。
'''歩兵の本領'''(歩兵の歌)は、これまで一高寮歌「[[アムール川の流血や]]」の替え歌と言われてきたが、平成21年に[[藍川由美]]が元歌を発見した(2009年10月2日、日本経済新聞「文化往来」)。[[永井建子]]が明治32年出版の『鼓笛喇叭軍歌 実用新譜』に収めた軍歌「小楠公」が、明治44年に陸軍中央幼年学校・百日祭の歌として発表された「歩兵の本領」の元歌だった。同書の曲譜と歌詞には、「本曲譜は七五調にて作りたる長編の軍歌にして未だ曲なきものには此句節にて謡はしむるの作意なれば爰には小楠公の一編を藉り其名稱となす」との永井の但し書きが付いている。
 
== 概要 ==
'''歩兵の本領'''(歩兵の歌)は、これまで一高寮歌「[[アムール川の流血や]]」の替え歌と言われてきたが、平成21年に[[藍川由美]]が元歌を発見した(2009年10月2日、日本経済新聞「文化往来」)。[[永井建子]]が明治32年出版の『鼓笛喇叭軍歌 実用新譜』に収めた軍歌「小楠公」が、明治44年に[[陸軍中央幼年学校]]・百日祭の歌として発表された「歩兵の本領」の元歌だった。同書の曲譜と歌詞には、「本曲譜は七五調にて作りたる長編の軍歌にして未だ曲なきものには此句節にて謡はしむるの作意なれば爰には小楠公の一編を藉り其名稱となす」との永井の但し書きが付いている。
 
この発見は、昭和19年の『日本の軍歌』での[[堀内敬三]]の記述「『アムール河の流血や』の曲が[[永井建子]]の作曲であることは同樂長から私に寄せられた書翰で始めて知つた」や、『向陵』(1992年10月発行)に記載された「作曲者栗林宇一氏は、軍歌など二、三の既成曲の組合せで作ったと語っておられる」とも合致する。本人の談話及び両曲の楽譜とその発表年は旧制一高生(中退)の[[栗林宇一]]が明治34年の第十一回紀念祭寮歌「[[アムール川の流血や]]」のメロディーとして明治32年に出版された軍歌「小楠公」を借用した根拠となり得るが、『日本の唱歌(下)』(金田一春彦・安西愛子編/講談社)などでの「この歌の作曲者は以前、陸軍軍楽隊隊長、永井建子と誤伝されていたが」との記述には根拠が示されていない。
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戦後GHQにより日本国では演奏、放送等を禁止された。
 
== 歌 詞 ==
作詞:加藤明勝
作曲:永井建子(「小楠公」より)