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本格的な顕微鏡による[[記載岩石学]]および[[熱力学]]に基づいた火成岩成因論を日本の岩石学界に輸入した[[坪井誠太郎]]を師とし、物理・化学的観点から天然の岩石の成因を探る研究を行った。
 
日本時代の主な業績として、[[変成岩岩石学]]の基本的枠組みを平衡熱力学の見地から体系化したこと<ref>Evolution of metamorphic belts, J. Petrology, 2, 277-311, 1961.</ref>、および[[対の変成帯]]の概念の提唱がある。これらは、欧米で提唱された理論の輸入の枠を超えた、日本発の画期的な業績であり、特に欧米で高い評価を受けた。これらの研究は、弟子の[[坂野昇平]]、[[関陽太郎]]、[[紫藤文子]]らと共に行った。
 
一方、当時の日本の地質学界で権勢を振るっていた[[地学団体研究会]]の主流派に属する地質学者・岩石学者たちは、[[マルクス思想]]に基づいた歴史法則を解明するための地質学という思想的呪縛に囚われ、物理・化学的手法そのものを批判する立場をとっていた。そのため、都城は1967年、ついに日本の学界を去り、活動の場をアメリカに移すことになる。