「傾城反魂香」の版間の差分

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折しも四郎次郎の弟子の雅楽之助が、師の急難を告げる。又平は、これこそ功をあげる機会と助太刀を願うが、これもあえなく断られ、修理之助が向かうことになる。
 
何をやっても認められない。これも自身の障害のためだと絶望した又平はお徳に死を決意する。夫婦涙にくれながら、せめてもこの世の名残に絵姿を描き残さんと、手水鉢を墓碑になぞらえ自画像を描く。「名は石魂にとどまれ。」と最後の力を込めて描いた絵姿は、あまりの力の入れように、描き終わっても筆が手から離れないほどであった。水杯を汲もうとお徳が手水鉢に眼をやると、何と自画像が裏側にまで突き抜けているのであった。「かか。ぬ、抜けた!」と驚く又平。将監は、お前の執念が奇跡を起こしたのだと感心しその筆力を認め土佐光起の名を与え免許皆伝とし、四郎次郎の救出を命じた。
 
又平は、北の方より与えられた紋付と羽織袴脇差と礼服を身につけ、お徳の叩く鼓に乗って心から楽しげに祝いの舞を舞う。そして舞の文句を口上に言えば、きちんと話せることがわかる。将監から免許状の巻物と筆を授けられる。又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのであった。
 
 
== 概略 ==