「阪東妻三郎プロダクション」の版間の差分

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=== 東京ベイエリアの撮影所 ===
[[File:BANTSUMA.jpg|thumb|right|250px|大日本自由映画プロダクション、谷津海岸、1931年 - 1935年。]]
[[1931年]](昭和6年)1月、阪東は「大日本自由映画プロダクション」を設立、[[京成電鉄]]が提供した[[千葉県]][[千葉郡]][[津田沼町]]谷津海岸(現在の[[習志野市]]谷津)の塩田地帯の約5万平方メートルの土地(のちの[[谷津遊園]])に「阪東妻三郎プロダクション関東撮影所」を建設した。第1作は[[東隆史]]監督の『洛陽餓ゆ』で、[[パラマウント映画|パラマウント]]社の配給により同年[[7月15日]]に公開されたが、第2作、おなじく東監督の『風雲長門城』からは、同年に[[帝国キネマ]]から改組された[[新興キネマ]]の配給となった。松竹資本のもと、帝国キネマの専務取締役となり、当時新興キネマの常務取締役となった立花の斡旋による<ref name="阪東" />。