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=== 家康の長男・信康の切腹 ===
二俣城といえば、家康の長男・[[松平信康]]が若くして父に切腹させられた悲劇の地としても知られる。天正7年([[1579年]])7月、家康の同盟者・[[織田信長]]に家康の正妻・[[築山御前]]と長男・信康が武田方に内通したとの報がもたらされた。この信憑性は非常に薄いものであったが、信長は家康にこの二人を処断するよう求めた。家康は悩んだ末まず築山殿を殺害、さらに[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]かねてから二俣城に幽閉させていた信康を切腹させた。
=== その後 ===
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