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'''柴田 翔'''(しばた しょう、男性、[[1935年]]
[[東京大学]]文学部独文科大学院を経て、1969年より同大教授。1964年に当時の学生群像を描いた「されどわれらが日々―」で[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞した。『贈る言葉』『立ち盡す明日』『われら戦友たち』などのほかに、『ゲーテ「ファウスト」を読む』や『[[ファウスト]]』の翻訳がある。
== 経歴 ==
1970年から72年まで、[[小田実]]、[[高橋和巳]]、[[真継伸彦]]、[[開高健]]とともに同人誌『人間として』を[[筑摩書房]]から刊行、「ノンちゃんの冒険」を連載するが、高橋はほどなく没し、雑誌が休刊になり、同作品は75年に残りを書き下ろして刊行された。以後、ほとんど小説を書かなくなる。▼
[[東京都]][[板橋区]]常盤台に育つ。[[武蔵中学校・高等学校]]を経て[[東京大学]]に入学。工学部から文転して独文科を卒業し、1960年、同大学院独文科修士課程修了、助手となる。その間に同人誌『象』に発表した小説「ロクタル菅の話」で注目される。1961年に修士論文を改稿した『親和力研究』でゲーテ賞を受賞、翌年ドイツ留学。
1964年、『象』に発表した「されど われらが日々―」で第51回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]を受賞。[[日本共産党第6回全国協議会|六全協]]に影響された主人公を描いた青春小説で、以後も『贈る言葉』(1966年)、『鳥の影』(1971年)、『立ち盡す明日』(1971年)などを発表し、とくに若者から多くの人気を得た。その傍ら、1966年に[[東京都立大学]]講師、1967年に助教授、1969年[[東京大学]][[文学部]]助教授、のち教授を務めた。
[[1995年]]東大を定年退官、東大名誉教授、[[共立女子大学]]文芸学部教授、2006年定年退任。1981年前後に[[文學界新人賞]]選考委員、1999-2007年[[太宰治賞]]選考委員。▼
▲1970年から72年まで、[[小田実]]、[[高橋和巳]]、[[真継伸彦]]、[[開高健]]とともに同人誌『人間として』を[[筑摩書房]]から刊行
妻は作曲家[[三宅榛名]]。娘の[[柴田暦]]は歌手・女優。▼
ドイツ文学者としては、『ゲーテ「ファウスト」を読む』や『内面世界に映る歴史』、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]の『[[ファウスト]]』の翻訳がある。
▲[[1995年]]東大を定年退官、東大名誉教授、[[共立女子大学]]文芸学部教授、2006年定年退任。1981年前後に[[文學界新人賞]]選考委員、
▲妻は作曲家[[三宅榛名]]。娘の[[柴田暦]]は歌手・女優。
==著作==
===小説===
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▲*『突然にシーリアス』筑摩書房 1992
===絵本===
*ムウといじわるねこグヮオ
*ムウと月夜の大えんかい
*グヮオのさようなら
===エッセイ===
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*晴雨通信 1983年夏~1985年春
*風車通信 1988年春~1989年秋
*希望としてのクレオール
*記憶の街角 遇った人々
*詩への道しるべ
*詩に誘われて
===ドイツ文学===
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*詩に映るゲーテの生涯
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*はじめて学ぶドイツ文学史
*闊歩するゲーテ
===翻訳===
*[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
*ゲーテ『[[若き
*ゲーテ
{{DEFAULTSORT:しはた しよう}}
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