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==戦績==
引退後池田牧場に戻す事を条件に馬主に引き取られたテイタニヤは、「[[夏の夜の夢]]」に登場する[[タイターニア|妖精の女王]]の名前から「テイタニヤ」と名付けられ、牝馬で好成績を挙げている事で有名な[[稲葉幸夫]][[厩舎]]に入厩した。稲葉厩舎所属の稀代の牝馬使いとして有名な[[嶋田功]]をパートナーに得たテイタニヤは、関係者の期待に応え3歳時から快進撃。7戦4勝(内3勝は連勝)を挙げ昭和50年最優秀3歳牝馬に選ばれた。
 
4歳になったテイタニヤは、[[クラシック (競馬)|クラシック]]シーズン緒戦(新春4歳牝馬ステークス)こそ7着だったものの、その後は再び快進撃。[[桜花賞]]・[[優駿牝馬|オークス]]連覇した。特に、桜花賞は出遅れのハンデをものともしない快勝劇であった。秋は、牝馬三冠を狙い[[エリザベス女王杯]]に出走するも同厩の[[ディアマンテ (競走馬)|ディアマンテ]]の4着。次走は[[有馬記念]]に出走し[[トウショウボーイ]]の5着となった。父アローエクスプレスが同馬齢で挑んだ[[1970年]]の有馬記念の雪辱(4着)は叶わなかったが、これまでの好成績が功を奏し、この年の最優秀4歳牝馬を受賞した。