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'''阿子島たけし'''(あこじま たけし、[[1940年]][[8月30日]] - [[2005年]][[12月13日]])は、[[日本]]の[[音楽評論家]]。
 
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==変死==
2005年度の[[第47回日本レコード大賞]]審査委員長だったが「業界関係者との金銭授受があった」「阿子島はレコ大委員長を辞めろ」などという阿子島への[[怪文書]]が出回るようになる。怪文書はプロダクション担当者で構成される「音楽業界有志一同」名で、辞任勧告文書であった。阿子島は怪文書について、「全く根も葉もないこととまで言わないが、事実関係を捻じ曲げている」「出した人間は分かっている。詳しいことは後日話す」とコメントしていた。
 
しかし、阿子島122005年12月12日朝に家を出て以降行方不明となり14日14日に家族から神奈川県警戸塚署に捜査願いが出されていた。2005年12月13日早朝、[[神奈川県]][[横浜市]]の自宅が全焼。3日後の[[12月16日]]に突如自宅敷地内から遺体となって発見された。14、15日とさほど広くもない自宅敷地内を多数の警官が捜索していたにも関わらず3日後になって遺体が発見されたことについて警察は「16日に初めて屋外を捜索し始めた」としている。阿子島夫婦は日常的に頻繁に連絡を取り合っていたというが、当日は実家滞在中の妻に連絡はなかった。警察は[[出火原因]]は[[放火]]ではなく[[失火]]と断定。死因は焼死。しかし司法解剖では阿子島は煙を吸い込んでいなかったことが判明。つまり火事が発生する前に死亡したと思われるが、警察は事件性がないと判断した。
 
==事件性を強く示唆する状況==
ディナーショーに出席した1212日、ホテル泊の可能性もあったが、外泊はせずに帰宅の途につく。
もし無事帰宅していたならば、実家に滞在中の妻を安心させる為に、間違いなく電話をしていた状況と思われが、実際にはなぜか何の連絡もなかった。行方不明とされる期間中も当然ながら連絡はなかった。
また、阿小島は日常的にかなり深夜(午前2時頃)まで起きている習慣があった。
しかしその日午前0時には既に消灯していた。戸塚駅のモニターに撮られた時刻が午後1111時。日常習慣を考えると、それから1時間以内に就寝した可能性は低く、これらの疑問は途中で拉致等トラブルに巻き込まれた可能性を強く示唆している。
そして拉致されたとすれば、合鍵の複製は容易であり、もはや火災現場は密室ではなくなる。そうなると警察が失火と断定した根拠は崩れ、放火の可能性が濃厚になる。因みに近隣の住人が、早朝出火時に爆発音を聞いている。
 
早朝に火事のあった1313日は、多数の消防士が現場を捜索。
14141515日は多数の警官が現場を捜査。 そして1616日、突如として庭先で焼死体が発見される。
自宅はそれほど広くはない。その限られた範囲を多数のプロが丸3日も費やして死体を発見できなかったということになる。1616日に初めて屋外を捜索し始めたという警察の弁解は意味不明なものである。
以上の疑問や謎と怪文書の存在を考え合わせると、もはや事件性がないと判断することのほうがはるかに難しくなる。もし本件を事故と結論付けるのであれば、警察買収という法治国家としてあるまじき事態が常態化していることとなる。
 
==異様に消極的なマスコミの報道姿勢==
音楽評論家である阿子島はマスコミ関係者となるが、目撃情報など情報提供を呼びかけることもせず、警察の手抜かりを追及する姿勢もなかった。事件性があると主張する立場からは、暴力団の企業舎弟となっている芸能事務所が疑われている。
 
音楽評論家である阿子島氏はマスコミ関係者となるが、目撃情報など情報提供を呼びかけることもせず、警察の手抜かりを追及する姿勢もなかった。事件性があると主張する立場からは、暴力団の企業舎弟となっている芸能事務所が疑われている。
 
==著書==