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=== IBF世界バンタム級王座獲得 ===
1983年にはWBAの世界ライトフライ級ランクに名を連ねた。[[渡嘉敷勝男]]と[[ルペ・マデラ]]がWBAの世界王者だった当時、同級王座に挑戦する機会を新垣は待っていた。しかし渡嘉敷とマデラは微妙な判定の試合を繰り返し、結果4度の対戦をすることになり、挑戦の機会が与えられなかった。前世界王者の渡嘉敷のマッチメイクを優先するJBCに対し、ジム・新垣ともに我慢の限界であり、所属する奈良池田ジムが[[日本IBF]]に参加したため、それにあわせてIBF世界ライトフライ級王座決定戦に出場。[[ドディ・ボーイ・ペニャロサ]]と王座を争った結果、減量の影響もあり病院送りにされる程の敗北を喫した。その後一気に3階級上げ、1984年4月15日に再び世界王座に挑戦。IBF世界[[バンタム級]]王座決定戦で[[エルマー・マガラーノ]]を8RTKOで下し、IBF世界バンタム級王座を獲得。
 
=== 王座陥落、怪我そして[[引退]]へ ===