「北条時実」の版間の差分

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| 兄弟 = [[北条時氏|時氏]]、'''時実'''、[[北条公義|公義]]、他女子
| 妻 = 正室:[[北条朝時]]の娘
| 特記事項 =
}}
 
'''北条 時実'''(ほうじょう ときざね)は、[[鎌倉時代]]前期の[[北条氏]]の一族。[[鎌倉幕府]]第3代[[執権]]・[[北条泰時]]の次男。母は[[継室]]の[[安保実員]]の娘。
 
第4代将軍・[[九条頼経]]の側近として仕えるが、[[嘉禄]]3年([[1227年]])6月18日、六堂供養を翌日に控えて御家人達が大勢鎌倉へ集う喧噪の中、家人である高橋次郎によって殺害された。享年16。原因は不明だが、他にも仲間の御家人3人も殺害されている。高橋次郎は直ちに捕らえられ、即日[[腰越]]で斬刑に処せられた。当日夜には時実の乳母父である[[尾藤左近将監景綱]]が出家している。
 
翌日の六堂供養はこの事件によって延期された。