「レーモン4世 (トゥールーズ伯)」の版間の差分

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3度結婚しているが、最初の2回は[[近親結婚]]として[[婚姻の無効|無効]]とされており、それを理由に2度[[破門]]を受けている。このため、最初の妻との子である長子ベルトランは[[庶子]]と見なされることが多い。
 
[[十字軍]]以前にも[[スペイン]]で[[イスラム教徒]]と戦っており、第1回十字軍の勧誘においても[[諸侯]]の中で真っ先に参加を誓ったと言われる。年齢的にも最年長であり、南仏諸侯のリーダーと見なされた。[[コンスタンティノープル]]では[[東ローマ帝国|ビザンティン東ローマ皇帝]]に臣従を誓わず、むしろ友人として[[ボエモン1世 (アンティオキア公)|ボエモン]]に対する同盟を組んだと言われる。
 
1097年の[[アンティオキア]]包囲戦では、配下のバルトロメオという人物が[[聖槍]]を発見したとして、大いに十字軍の士気を揚げている。