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'''カレン・スレノヴィチ・ハチャトゥリアン''' ({{lang-ru-short|Карэ́н Суре́нович Хачатуря́н}}<ref>名前は {{lang|ru|Карен}} と表記されることもある。</ref>, Karen Surenovich Khachaturian, [[1920年]][[9月19日]] - ) は[[ロシア]]生まれの[[アルメニア人|アルメニア系]]作曲家。
==経歴==
著名な作曲家[[アラム・ハチャトゥリアン]]の甥。父親 (スレン・ハチャトゥリアン、アラムの実兄) は[[ソビエト演劇劇場]]の演出家であり、作曲家でもあった<ref>カレン・ハチャトリアン室内楽名曲集、テイチクレコード、TECC-30070 ライナーノート参照。</ref>。[[モスクワ]]に生まれ、8歳で[[グネーシン音楽大学]]に入学、その後叔父の激励を受け1938年に[[モスクワ音楽院]]に入学し、叔父の親友[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]]、および[[ニコライ・ミャスコフスキー|ミャスコフスキー]]に師事して作曲を学んだ。第二次世界大戦中の休学をはさんで1949年に同校を卒業し、プロの作曲家としてのキャリアをスタートした。1952年には母校[[モスクワ音楽院]]で管弦楽法の教師となった。1991年時点で同校教授。
==作品==
[[レオニード・コーガン]]に献呈された 『[[ヴァイオリン・ソナタ]] [[ト短調]]』 作品1 (1947年)や、[[チェロ・ソナタ]] (1966年)、『[[弦楽三重奏曲]]』(1984年) などの[[調]]的な作品で知られ、
[[ソビエト連邦|旧ソ連]]時代には[[ボリショイ・バレエ団]]の新作バレエ作品 『チッポリーノ』 (1977年) の作曲を担当したほか、[[映画音楽]]の作曲でも活躍した。また指揮者 (モスクワ放送交響楽団、ソビエト放送交響楽団)、ピアノ奏者としても活動し、自作や叔父の作品の録音がある。
== 外部リンク ==
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