削除された内容 追加された内容
LaaknorBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ru:Ли Юаньхун
編集の要約なし
47行目:
 
=== 中華民国大総統 (第1期) ===
黎元洪は袁世凱の後を継いで1916年6月7日から[[1917年]]7月17日まで大総統を務めた。これが「袁世凱の後継者」としてなら[[北洋軍閥|北洋軍]]時代からの側近の[[段祺瑞]]・[[馮国璋]]・[[徐世昌]]が大総統を継ぐべきところだが、それでは帝政復活宣言以来反乱まで起こしている[[梁啓超]]南方の護国系が納得しない。それに北洋軍閥内にも派閥があり、その中の誰が大総統になっても北洋軍内にしこりが残るだろう。それならばまずは国内の安定を、と「中華民国の後継者」をアピールできる黎元洪を大総統に昇格させるという、無難といえば無難な人事で落ち着いたのだ。
 
この人事を決めた徐世昌・段祺瑞ら北洋軍閥にしてみれば、大総統とは言ってもあくまで傀儡であり、政治の実権は[[中華民国の首相|政事堂国務卿]]<ref>政事堂国務卿:後に改組して国務総理。内閣の首班で首相に相当する。</ref>が握るものと考えていた。だが北洋軍閥最大の誤算はここにあった。黎元洪は傀儡である事に我慢できなかったのだ。この後、大総統府の長である黎元洪と国務院の長である段祺瑞は対立を深めていく。世に言う「[[府院の争い]]」である。