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[[揚州]][[刺史]][[劉ヨウ|劉繇]]の配下。于糜は[[樊能]]とともに[[長江]]の横江津に駐屯している。これにより、同じく当利口に駐屯する同僚の[[張英_(後漢)|張英]]と連動して、勢力拡張を企む[[袁術]]に備えていた。これに対して袁術は、揚州刺史[[恵衢]]、[[丹
しかし[[興平 (漢)|興平]]元年([[194年]])、呉景らを[[孫策]]が救援すると、戦況は一変する。孫策は、呉景らが数年かかっても攻略できなかった于糜らを瞬く間に撃破し、劉繇が篭っていた牛渚の要塞も陥落させた。于糜と樊能は、いったんは牛渚を取り戻すものの、軍を返した孫策の攻撃を受け、またしても敗退した。これ以後、于糜は史書から姿を消す。
== 物語中の于糜 ==
小説『[[三国志演義]]』での于糜は、孫策に一騎打ちを挑んだものの、わずか3合で生け捕られる。于糜を救出しようとした樊能は、孫策の大喝に驚いて落馬死してしまう。孫策は腕で抱えたまま自陣に戻るが、于糜はすでに窒息死してい
== 参考文献 ==
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