「アルファロメオ・スパイダー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
このページに関する質問告知
質問告知外し、修正
1行目:
{{質問}}
[[Image:Roundtail 1750.jpg|thumb||シリーズ1(ポートテール)]]
[[Image:Alfa Romeo Spider 2000 Veloce.JPG|thumb|シリーズ2]]
[[Image:Alfa spider 3rd frankfurt vorn.jpg|thumb||シリーズ3]]
[[Image:Alfa romeo spider serie4 open.jpg|thumb||シリーズ4]]
'''アルファロメオ・スパイダー'''は、[[イタリア]]の[[自動車メーカー]]・[[アルファロメオ]]が1966年から製造している2ドア・オープンカーである。
[[Image:Alfa Romeo Spider 2002.JPG|thumb|二代目]]
 
[[Image:Alfa Spider (2007.1.9.Japan).jpg|thumb|三代目]]
'''アルファロメオ・スパイダー'''は、[[イタリア]]の[[自動車メーカー]]・[[アルファロメオ]]が1966年から製造している2ドア・オープンカーである。1993年までのモデルは[[アルファロメオ・ジュリア]]のシャシーを用いた独自のデザインのモデルであったが、その後のモデルは[[アルファロメオ・GTV]]・[[アルファロメオ・ブレラ]]のルーフを切り取ったオープン版で、キャビン以外はベース車とほぼ共通設計である。各車とも[[カロッツェリア]]・[[ピニンファリーナ]]の車体製造となっている。
 
==概要==
13 ⟶ 12行目:
[[アルファロメオ・ジュリア]](105系)のオープンモデルとして、ジュリア・スプリントGTVの1570cc109馬力エンジンを与えられて1966年の[[:en:Geneva Motor Show|ジュネーブ自動車ショー]]でデビュー、ジュリアの名は与えられず、「'''アルファロメオ1600スパイダー・デュエット'''」と命名された。デザインは先代の[[アルファロメオ・ジュリエッタ]]・スパイダー同様、[[カロッツェリア]]・[[ピニンファリーナ]]であったが、息子のセルジオに後を譲る直前の[[バッティスタ・ファリーナ]]が手がけた最後のプロジェクトであった。実際、デュエットのデザインの源流は1959年のプロトタイプ「3500スパイダー・スーペルスポルト」、1961年の「ジュリエッタSSスパイダー・スペチアーレ・アエロディナミーコ」まで遡ることが出来る。
 
1967年にはベースが[[アルファロメオ・1750/2000|1750]]に変わり、1779cc118馬力エンジンとなって「'''1750スパイダー・ヴェローチェ'''」に改称された。1968年にはGT1300ジュニアと同じ1290cc89馬力の「'''スパイダー1300ジュニア'''」が追加された。1750とはヘッドライトのアクリル製カバーやホイールキャップが無いことで識別される。このモデルは1967年の映画「[[卒業 (1967年の映画)| 卒業]]」([[ダスティン・ホフマン]]主演)の主人公の愛車として使われ、映画のヒットと共に世界中に広く知られることとなった。
 
====カムテール時代====
1970年には大幅なマイナーチェンジを受けた。最大の変化はテールが下がった従来の「ボートテール」から直線的な「カムテール」になったことであり<!--多くのファンを嘆かせたが、-->トランクスペース拡大した。また、フロント周りのデザイン変更、より直立した大型のウィンドースクリーン、吊り下げ式のペダル、クラッシュパッドが入った新しいダッシュボードなども与えられた。
 
1971年には1750が1962ccの[[アルファロメオ・1750/2000|2000]]に発展したことを受けて、「'''2000スパイダー・ヴェローチェ'''」が1750に代わって登場した。翌1972年には1300と2000の中間車種として、1600cc版が「'''スパイダー1600ジュニア'''」として、1300と同じ簡素な外装で再登場した。1974年には一時的に、ルーフの一部のみが脱着式の「スパイダー・タルガ」が2000台弱生産された。
 
1300は1974年に、2000は1975年に、小さなリアシートが追加されて2+2化された。1300は1977年に生産中止された。また、1974年以降の対米輸出車には大きなゴム製の衝撃吸収バンパーが装備され<!--、オリジナルスタイルの美しさを大いに損なっ-->た。さらに、当時の技術水準による排気ガス対策により、性能も大幅に低下した。当時の日本へもこの仕様が輸入された。
 
====1980年代====
1983年、スパイダーには13年ぶりの大きなマイナーチェンジが施された。フロントグリルと一体化した大型バンパー、リアスポイラーと一体化した大型リアバンパー、大きなテールランプ、一新されたダッシュボードなどによって、が装備された。<!--スパイダーは一気に若返ったが、この急激な変化は古くからの愛好家には余り好評とはいえなかった。-->車名は「'''アルファロメオ・スパイダー'''」に単純化された。エンジンは1570cc104馬力と1962cc128馬力の二種類があった。
 
1986年には流行の[[エアロパーツ]]を装備し、1962cc132馬力に強化された「'''クワドリフォリオ・ヴェルデ'''」(Quadrifoglio Verde)と、シンプルな「グラジュエイト」(映画からの命名)にグレードが分けられた。シリーズ3から本革シートやエアコンも装備可能となり、既にスポーツカーとしてはエンジン・シャシーとも時流に遅れていたことから、雰囲気とスタイルを楽しむパーソナルカーとしての性格が強まっていく。
31 ⟶ 30行目:
 
===二代目(1995-2006年)===
[[Image:Alfa Romeo Spider 2002.JPG|thumb|二代目]]
形式名916。[[アルファロメオ・GTV]]の項を参照。デザインと車体製造は[[ピニンファリーナ]]で、当時の開発責任者・[[エンリコ・フミア]]の作品である。プラットフォームは[[フィアット・ティーポ]]等と同じ「ティーポ2」となり、横置きエンジンの前輪駆動車となった。
[[Image:Alfa Spider (2007.1.9.Japan).jpg|thumb|三代目]]
{{main|アルファロメオ・GTV}}
形式名916。[[アルファロメオ・GTV]]の項を参照。デザインと車体製造は[[ピニンファリーナ]]で、当時の開発責任者・[[エンリコ・フミア]]の作品である。プラットフォームは[[フィアット・ティーポ]]等と同じ「ティーポ2」となり、横置きエンジンの前輪駆動車となった。
 
===三代目(2006年-)===
{{main|アルファロメオ・ブレラ}}
形式名939。[[アルファロメオ・ブレラ]]の項を参照・GTVのモデルチェンジに伴い、スパイダーも変更された。ブレラは[[ジョルジェット・ジウジアーロ]] のデザインであるが、オープンモデル化はアルファロメオと[[ピニンファリーナ]]の共同作業で行われ、生産は引き続き[[ピニンファリーナ]]が担当する。V6エンジン車にはQ4と呼ばれるフルタイム四輪駆動システムが与えられ、本国ではディーゼルエンジン車も存在する。
 
==日本への輸入==
{{main|アルファ・ロメオ#日本におけるアルファ・ロメオ}}
日本でも歴代スパイダーの人気は高く、[[伊藤忠オート]]・[[日英自動車]]・[[大沢商会]]から現在の「アルファロメオジャパン」に至る各社が継続的に輸入販売を行っている。1980年代半ば一時的に輸入代理店が無くなった時期にも、並行輸入業者によって相当数輸入さ行われていたほどである。現在でも中古車市場に多数が流通している
 
==参考文献==