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[[9世紀]]以降、コニャックは要塞として防備が固められていた。[[百年戦争]]の期間中、コニャックは周辺の地域を巡る戦闘と条約で、その支配権が幾度となくフランスと[[イギリス]]との間で奪い合われた。
 
[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]は出生地であるコニャックの町に対して、シャラント川沿岸での[[塩]]の交易権を与え、これによってコニャックは経済的に繁栄し、その後[[ワイン]]や[[ブランデー]]生産地の中心として発展していくことになる。
 
== 観光地 ==